July 13, 2014

日本人の美学

「月が綺麗ですね。」
これは日本屈指の文豪、夏目漱石の言葉とされており、”I love you”を訳したものであると言われています。
この逸話当時、夏目漱石は英語教師をしており、生徒がI love youを「我君を愛す」と訳したときに、「日本人はそんな事は言いません。”月が綺麗ですね”と言いなさい、それで伝わりますから。」と生徒を諭したそうです。
つまり”愛している”などと言う直接的な言葉は日本人の感性に合っているものではなく、日本人ならではの叙情的な表現で相手に推し量ってもらう事をよしとしたのです。
何とも日本的な逸話と言うか、婉曲的な日本人らしさと言うものを大変よく表現しています。

アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトは著書の中で”欧州は「罪の文化」、日本は「恥の文化」”と規定しました。これもとても的を射た表現であります。

「罪の文化」とはキリスト教と密接な関係にあります。欧州では神の声=道徳と言う絶対的な基準があり、人々はその道徳に従い行動すると言う事です。つまり人々が罪の自覚に基づいて行動していると言う事です。
逆に「恥の文化」とは聖徳太子の”和を以て貴しとなす”の考え方であり、人々が世間の目を強く意識して恥をかかないように行動すると言う事です。
例えば、罪の文化では、どんな理由があろうと、人がなんと言おうと、殺人は殺人であります。罪は罪なのです。
しかし、恥の文化では、殺人を犯しても、世間がそれを良しとすればそれは罪ではありません
まぁこれは極端な例ですが…。分かって頂けたでしょうか?

さて、これらの長い長い前フリを踏まえた上でようやく本題に入りますが、最近の日本が「恥の文化」ではなくなっている、と言う事を強く感じます。

最近の日本では、苦情がとても多いです。元々苦情がどのくらいあったのかは知りませんが、どこかのお店に行って、苦情を言っているお客さんに遭遇する事は別に珍しい事でも何でもありません。こんな事は昔はありませんでした。あと、おかしな苦情が増えたように思います。

例えばJALのあの付け鼻、金髪CMの放送中止とか、まぁあれは世界を相手にしているJALですし、仕方ない部分はあったと思いますが、ドラマの放送中止、フォアグラ弁当の販売停止、カエルの酎ハイCM放送中止など、枚挙にいとまがありませんね。

これは消費者側が自分の優位を知っているからだと、そう思います。
「お客様は神様」「企業はイメージを傷付けられると簡単に負かせる」
これを身にしみて分かっているからこその現状。
違うんです。「お客様は神様」は店員のセリフなんです。自分で言う事じゃないんです。「Aちゃんってさ、天然だよね。」なんです。「わたしって、天然だからさ~。」じゃないんです。それを自分で言うのは恥ずべき事です。
「◯◯が不快だから中止しろ!」「◯◯はまだか、早く食わせろ!」相手を推し量る日本人はどこへ行ったのでしょうか?声を大にして人に文句を言う事は恥ずべき事だったはずです。いつから「恥の文化」から”自分さえよければいい自分主体の国”になってしまったんでしょう?

十人十色、みんな違ってみんないい世の中なんです。
自分主体に考えている人が多過ぎます。
今すぐ日本を変えようなんて大それた事は思ってません。僕の身の周りで変な苦情を声を大にして言う人がいなくなればいいなと思います。俺個人から発信して、俺の周りを変えれたら、またその周りの人から発信して、そしてやがては全体を変えれるように期待して。

「変える」と書きましたが、正確には「戻す」ですね。

”月が綺麗だった頃の日本”に戻る事を祈って。

Cheers!

Dice


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