November 30, 2015

Reise nach Deutschland~ドイツ、ベルリンの壁編~

先日、大学が1週間休みだったので、兼ねてよりずっと行きたかったドイツに行ってきました。
原爆ドームを身近に感じ育った広島出身者として多数ある世界の他の『負の遺産』をもっと見たいという欲求が長年ずっと心にあったので、ベルリンの壁に行くのが今回の旅の目的の一つでした。

ベルリンの壁とは、冷戦中(1961年)に東ドイツ政府によって建設された壁で、西ベルリンを包囲する壁であった。

なぜ壁を作ったか?      


第二次世界大戦で負けたドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に分割統治されます。
その中でもドイツの首都、ベルリンはソ連が統治する東ドイツにあったのですが、重要な場所ということで、更に4国で分割統治していました。
ベルリンはこのように4国によって統治されていた。

西ドイツはアメリカ、イギリス、フランスにより統治され、資本主義を採用し、経済発展を遂げます。逆に東ドイツはソ連により社会主義体制となり、生活は苦しかったと言います。そこで人々はソ連の統治から逃れようと大量に西ドイツへ亡命します。これを見たソ連政府が、これ以上の人々の流出を避けるため、東西ドイツの境界に壁を作ってしまいました。この壁は1961年に建設され、1989年まで、なんと30年近く残っていました。



現在の壁        
壁はほぼ取り壊されていますが、その一部はオープンギャラリーとして開放され、21カ国、118名のアーティストのアート作品として、残っており、観光名所となっています。
負の遺産であり、どこかポジティブ。原爆ドームとは違ったスタンスです。


到着すると、ズラーッと長い壁が見えます。”東西分断”“超えられない、変えられないものの例え”と言うくらいなのでとてつもなくデカイのだろう・・・と思っていたけど、そんなこともない。

こんな薄い壁で東西が分断してたのは信じ難い。



さまざまなアートが1.3km続いています。



日本を表現した作品も。



フランス語で書かれた大作。
Google先生によると今年の7月に書かれたらしい。このように日々アートは増えている。




印象的だったのが、鳩に関するアートの多さ。
やはり鳩は世界中どこでも平和の象徴です。







どんどんアートを見ながら進んで行くと、壁の中頃で…


最も有名な「独裁者のキス」
当時の東ドイツを支配していたドイツ側の代表ホーネッカー書記長とソ連代表のブレジネフ書記長の親密さを皮肉った作品。落書きだらけなのが少し残念ですが…






最後に壁が崩壊した年を記念するアートで壁ともお別れ。


まとめ       
落書きも多いが、歴史的な建造物(?)であるベルリンの壁を無料開放しているのは素直にすごい。見た感じは越えられそうだと思ったが、自分が写っている壁の写真を見ると、無理なのがわかる。1.3km、多種多様なアートがあり、特に独裁者のキスは、写真やテレビで見るのもいいが、この大きさで実際に目で見たときの迫力は筆舌に尽くし難い。是非おすすめしたい。




















母親の気遣い、親子愛とはいつでも美しいものだ。














まだまだ旅は始まったばかり。







November 11, 2015

11月11日の重要性

ポッキーの日だと沸く日本の友達の投稿をよそ目に僕はイギリスで少々堅苦しい思いをしていた。
イギリスにポッキーが売っていないからではない。きちんと近所のスーパーに売っている。

11月11日はこちらではRemembrance Day, 通称Poppy Day だからである。
みんなで戦争死没者を弔おうぜって日である。
なぜ11月11日なのかというと、第一次世界大戦が休戦したのがこの日だったからだ。当時の国王であるジョージ5世により制定された。その後、第二次世界大戦でも被害が拡大し、フォークランド紛争や湾岸戦争でも数々の犠牲を出したイギリス。それら全ての犠牲者を弔うのがこの11月11日のリメンブランス・デイである。

この数週間になると赤い花のバッジやら造花やらを胸元につけている人をよく見る・・・というか英国人は全員つけている。
テレビに出る人は"トラブル回避"のために絶対につけている。
どうやら募金をするともらえるようだ。日本でいう赤い羽根募金と思っていただいて差し支えない。
この赤い花はポピー、ケシの花である。第一次世界大戦で最も死者を出した戦地、ベルギーのイーベル地方の特産品だ。
このイーベル地方ではドイツ軍と連合軍の激しい戦闘により建物や道路、その他ありとあらゆるものが破壊された。多くの兵士が死んだ。そして戦争が終わったあと、更地となった地には赤いポピーが一面に咲いた。それを見た人々は戦争により流された血を花が吸い取ったと思ったらしい。それだけ多くの兵士が死に、ポピーが咲いていたそうだ。
ベルギーのイーベル地方

そしていつからかリメンブランスデイの1週間前から当日まではポピーを胸につけるのが常識になった。少なくともイギリスでは。もしつけていなければ、愛国心のないやつだとか、死者を冒涜しているだとか、いわれのない批判を受ける羽目になる。

しかし、これについては('賛'が圧倒的多数ではあるが)、一応賛否両論あるらしい。
自分は日本人として少し複雑だ。つけていると「敵国のくせに」と言われることもあれば、つけてないと「イギリスにいるのにこの国をリスペクトしてない」だとか言われる。
愛国心とは時に大変厄介なものだ。


何事も、他人に強要するのはよくない。しかし、自分は過去の犠牲の上に生きていることも忘れてはならない。そして、1年で1週間だけでも彼らの犠牲を偲ぶ時間を持っているのは、間違いなくいいことだ。こんな重要で重たい日に、遠い日本で人々がポッキーを買って喜んでいるギャップがすごいと思った。