人がまばらだった会場もいつの間にか本当に大勢の人で埋め尽くされ、通り抜ける隙間もないくらいだ。
今日のトークショーはアナウンサーが司会で、主役の橘凛、そしてもう一人彼女の事務所からあまり有名じゃない若手が出るようだった。ようは抱き合わせとかバーターとか言うやつだろう。
「みなさん、お待たせいたしました。今回このトークショーコーナーで司会を務めさせていただくアナウンサーの安藤安子(あんどう やすこ)です。そしてこちらが可愛らしい言動で若者からお年寄りに大人気の橘凛さん、そして今最注目の新人モデルの桐生隼人(きりゅう はやと)さんです。」アナウンサーの紹介と共に現れた橘凛と桐生と言うモデル。男だったのは驚いた。いや、確かに抱き合わせは同性とは限らないのだが。
真っ白なワンピースにカーディガンを羽織った橘だが、こんなに真っ白のワンピースを自然に着れるのはさすがは橘凛と言ったところだろうか。桐生は半ズボンにマリンボーダーの七分袖のものを着ている。それにしてもすごい歓声だ。
「橘さん、桐生さん、今日はよろしくお願いします。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
がちがちなテンプレで始まったトークショーは、その後も「芸能界に入ったきっかけは」とか「この時期のオススメファッションアイテム」やら「約半年過ぎましたが振り返ってみてどうですか」みたいなザ・トークショーな展開に終止していた。
「芸能界に入ったきっかけは、スカウトされたんですよ。東京に旅行してたときに。」桐生がそう語る。確かに、185cmくらいはあろうかと言うスラッとした身体にキリッとした整った顔。彼が街を歩いているとスカウトが声をかけるのも自然な事と思える。
ちなみに橘凛が芸能界に入ったのは、「多くの人が自分を見て笑顔になってもらいたいから」だそうだ。なんともマネージャーの考えそうな台本だ、と思うのは考え過ぎだろうか。台本があると知ってしまうと全てが台本に思えてしまう。
橘凛がオススメなこの時期のファッションは、本人も今日着ている、やはりワンピースだそうだ。彼女は最近『森陰シャツ』と言うブランドのものを愛用しているらしい。彼女がこれを言ったあと、アナウンサーが何度も表記を確認し、ご丁寧にホームページのURLまで読み上げていた。きっとこのブランドは明日からは品薄状態が続くのだろう。これが上手な”モデルを使ったマーケティング”と言うものだろう。いや、ここまで露骨だと、上手かは分からないが。
桐生の今年は勝負の年だそうだ。そして”このステージはかなり大きくてスポンサーのお偉いさんもたくさん来ているのでかなり気合いが入っている”と語って笑いを誘っていた。
そして橘凛の今年のこれまでは、たくさん仕事をして学校にも行けて、充実しているそうだ。
「学校と言えば橘さんは最近、この近くの学校に行き始めたそうですね?」アナウンサーが”この近くの学校”とほぼ特定するような事を言ったのにドキッとしたが、そこから話しは学校の事に。
桐生は現役の高校生らしく、勉強について行くのは大変だが、芸能界との両立に毎日にやりがいを感じているそうだ。
「橘さんはどうですか、学校は楽しいですか?」とアナウンサーが聞くと、
「毎日面白くて優しいお友達に囲まれて、とても楽しいです。」との橘の解答にロイヤル・ナイツが座っている辺りからキャーキャー騒ぐ声。いや、この受け答えは絶対に台本だ。…これはロイヤル・ナイツに対する嫉妬などではない事を明確にしていただきたい。
そこから更にもう少し学校の話しを繰り広げて、30分程でショーは終わりに向かっていた。
「そう言えば橘さん。」最後に、と言った感じでアナウンサーが話し始める。
「今日は誕生日なんでしたね。」
そう言えばそうだ。俺はあの日の事を思い出していた。靴箱にメールアドレスが入っていたあの日。それが橘のメールアドレスだった事。そしてアドレスにあった0503が何の数字なのか、調べてみると、それが橘の誕生日だった事。
5月3日、それは正に今日、GWの初日であり、花祭りの初日でもある。
「え?…あ、はい。そうなんです。」突然の事に少し驚くも、すぐに冷静に対処する橘凛。どうやらこれは台本には無いサプライズのようだ。
すると壇上にはかなり大きな誕生日ケーキが運ばれて来た。
「桐生さんが企画されたんですよ。」アナウンサーの言葉に驚く橘。桐生は照れくさそうだ。
「橘さん、誕生日おめでとうございます!!」アナウンサーのその声と共に、会場には誰かが歌った誕生日の歌がどこからともなく聞こえ始め、そして観客全体の大合唱へと変わった。俺は、自分が誰か歌手のコンサートに来たような感覚に陥った。
そのイベントだけでなんだか疲れてしまった俺は、とっとと家に帰った。と、言っても、それは近藤と石川と蒼木さんにとっても同じだったようで、3人も”帰る”と言う俺の選択に同調してくれた。そして4人とも口数少なに家に向かって歩いた。疲れているときの出店は疲れを倍増させる。楽しいはずの出店がその日の帰り道は鬱陶しかった。
その日俺は橘凛に誕生日おめでとうメールも何も送らなかった。本当に大勢の人に言われているだろうし、俺だってトークショーでのあの場所にいたのだから、今更送る必要性も見いだせなかった。何より、芸能人と言う前に、異性のクラスの女子に誕生日メールなるものを送るのも照れくさかった。
「お疲れ様」くらいのメールは送っても良かったのかもしれないが、メールを送る以上、誕生日には触れなくてはいけない感じがして送れなかった。
結局、橘からもメールは来ず、その日は橘とはメールをしなかった。これがアドレスを交換してから、メールを一通もしなかった初めての日になったと気づいたのは、少し後になってからだった。
そして、あの時、何かメールを送っていれば、俺の現在は違ったものになっていたかもしれない、と思われるターニングポイントの一つでもあった。
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